2019年1月4日、日本で公開の『ホイットニー・ヒューストン ~オールウェイズ・
ラヴ・ユー』
先に公開したフレディ・マーキュリーの映画『ボヘミアン・ラプソディ』は大ヒット
していますが、フレディと同じくらい、世界中に名を轟かせた歌手である
ホイットニー・ヒューストンのドキュメンタリ-映画です。
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2019年1月号の表紙は、映画「ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー」。世界を熱狂させた歌姫『#ホイットニー・ヒューストン』の光と影に迫るドキュメンタリー。2019年1月4日から東京・TOHOシネマズ日比谷ほか全国で公開。https://t.co/qhkFYh70QY pic.twitter.com/NLuxWAWt8A— AiSOTOPE LOUNGE (@AiSOTOPE_LOUNGE) December 30, 2018
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どんな映画?
1980年から90年代を代表する女性シンガー、ホイットニー・ヒューストン
彼女は、グラミーを8度も受賞し、全世界で2億枚以上のアルバムを売り上げました。
ケヴィン・コスナーとの共演映画『ボディガード』は世界中で大ヒットするなど
輝かしい成功とは裏腹に、ボビー・ブラウンとの結婚を境に、ドラッグ問題や
彼女の家族の問題など、ゴシップ記事が多くなり、表舞台にでてくることも
少なくなってきました。
2012年2月に不慮の溺死により48歳で亡くなりました。
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彼女の遺産管理人を務めている義理の妹のパット・ヒューストンの全面的な協力を
得て、ビデオなど大量な映像や写真など、また近親者等への新たなインタビュー等
から、ホイットニーの人生を紐解いていきます。
監督は?
ホイットニー・ヒューストンのもとで映画出演のエージェントを務めてきた
ニコールが彼女のドキュメンタリー映画を作成するために、舵取りを頼んだのが
ケビン・マクドナルド監督。
監督は、『ブラック・セプテンバー ミュンヘンテロ事件の真実』で第72回アカデミー
長編ドキュメンタリーを受賞しています。
1967年10月生まれの51歳。スコットランドで生まれました。
この作品の舵取りを頼まれたとき、監督は、
彼女はあまりにも荒んだ状態だったから、正直うんざりしていた。僕も80年代に彼女の歌を聞いて育った世代だけど、彼女にすんなり同情する気分にはなれなかった。
引用:https://rollingstonejapan.com/articles/detail/28645/1/1/1
と、語っています。
その後、ニコールやパットと面会し、監督が最終決定権を持つことを条件に
この映画を作成することになりました。
ホイットニーの母親や元夫のボビー・ブラウンへの取材など、うまくいかなかった
こともあったようです。
逆に、近親者による虐待や彼女自身の薬物問題など明るみにでてくる暗い部分も
ありましたが、監督はそれだけではなく、彼女の偉業を描きたいとし、
その中には、1991年のスーパーボウルでの国歌斉唱の映像もありました。
「彼女は作曲こそしなかったが、曲作りの中でしっかり手綱を握っていた。彼女は音楽に革命をもたらした。あの国歌斉唱で、国歌の意味、国歌の歌い方はがらりと変わった。彼女は国歌を、戦争と人種差別の歴史から解放し、自由を称える歌へと転換したんだ」
引用:https://rollingstonejapan.com/articles/detail/28645/3/1/1
感想
ホイットニー・ヒューストンは、本当に素晴らしい歌手の一人だと思います。
日本人のそんなに洋楽に詳しい私でなくても、アルバムを買い、何度も
聞きました。
『ボディガード』も何回も観たし、彼女になりたいって本気で思ったものです。
そんな彼女のゴシップ記事をみながら、非常に残念な気持ちになったり、薬物が
原因で亡くなったとの報道で、悲しい気持ちになりましたが、
私の中でホイットニー・ヒューストンは、光り輝くステージの上で
美しく、かわいい笑顔で、楽しそうに歌っている大スターのままでした。
スターであるが上に、その裏では、どんな出来事があったのか、
この映画をとおして、その一端でも知ることができると思います。
ぜひ、劇場でみたいものですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
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